自分の表彰状や作品を飾られると子供は嬉しい
表彰状っていってもただの紙キレ。
こんな紙を貰っても全然うれしくない。
キミは「表彰状より金をくれ」的なタイプだったからね。
こんにちは。
冷めた子供時代を過ごしてきた私は「賞状の価値」なんて1ミリも無いと考えていました。
しかし大人になって改めてみるとそうじゃなかった。
私たちは人から認められると自分に自信がつきますよね。
子供も同じで自分が認められると自信がついて目が輝いてきます。
今日は表彰状や感謝状、認定証、トロフィー等が「価値のないモノ」であって『価値のある物』だったお話をするよ。
トロフィーや表彰状の価値
もともと子供にとって賞状なんていうのはただの紙キレです。
しかし周りの大人が「すごい」「立派」「価値がある」という扱いを常にしていれば、子供は賞状にそれほどの価値があることを認識していきます。
黄金に輝いていたりするトロフィーは見た目にもその効果があるのですが、賞状は単なる紙ですから、その価値を子供に刷り込む必要があるんですね。
賞状の本当の価値を知らないと損をする
私の親は賞状の価値を知らなかったので、自分の子供(私)に賞状の価値を教えることが出来ませんでした。
その結果、私は表彰されて賞状を貰うことが素晴らしい事だと感じない子供として育ちました。
そうなると当然、表彰されるような良い事を全く意識しません。
認められた経験が少ないので否定や非難を受けないように生きる方法を探っていたような子供です。
チャレンジしたくても勇気が出ない。
失敗するくらいなら何もしない方がマシ。
賞状なんて貰ってもただの紙キレなんだし。
そんな感じでしたね。
まあ人様に迷惑をかけるようなことがなければそれで良いのかもしれないんですが。
賞状ありがとうございます。
紙ひこうき折って飛ばします。
みたいな。
最悪だね
その価値観がどうかによって人生に大きな影響を及ぼしていきます。
そのときの幼稚な私は非常識でしか目立つことの出来ない人間でした。
友達が羨ましかった経験
ある日、親戚の家へ行ったときのことです。
裕福とは言えない親戚の家でしたが、子供の賞状や写真がずらりと壁や棚に飾られていたんです。
私は、いとこが羨ましかった。
生きている証を讃えてくれているような、大切にされているような、そんな風に感じていたんです。
それは友達の家へ行ったときも同じでした。
賞状が飾られているのを見ると(こんな紙キレ…)と思う反面で親から大切にされているんだなって思って羨ましく感じていました。
私の家には私の賞状なんてひとつも無かったし、そもそも親が賞状の価値を知らずに捨てていましたから。
自己肯定感の向上やモチベーションアップ
偉大な人物の家には必ずと言っていいほど賞状や認定証やトロフィーが飾られています。
これを「自慢」という言葉で片づけてしまうこともできますが、その人の人生にプラスへ作用する力が宿っているのではないかと私は考えています。
賞状や表彰の効果
脳科学の観点からも賞状は人を育てる効果があることがわかっています。
- 嬉しい気分になる
- 周囲が喜んでくれる
- やる気が出てくる
- 励みになる
- 努力を促す
- あこがれを生む
昔から表彰の文化が地球上のあらゆる場所で行われて今に至るのには、それなりの効果があるからです。
良くやったと称賛され、崇められ、表彰したりされたりすることで人々がお互いに認め合い、向かう道を確かめ合うことにもなります。
表彰の品はなぜ価値のある金や物じゃないのか
功績を称えられるのになぜお金や使える物じゃなく、賞状の紙やトロフィーなど、使えないモノなのか。
私はずっと「紙」にはなんの価値も無いと思っていたんですが、これこそが「幸せ=物の豊かさ」という履き違えた感覚から生まれた価値観でした。
物資的な豊かさを幸せと考えている限り、私に幸せは訪れませんでした。
本当の幸せは他のところにあったんです。
幸せの形は人それぞれだけどね
少なくとも私にとって「物の豊かさ=幸せ」じゃなかったんだ
お金や品物には余計なリスクが付いてくる
誰にとっても価値のあるお金や品物だった場合は誰が貰っても嬉しいものですよね。
しかし賞状や認定証などは、与えられたその人にしか価値がないもの。
褒美に慣れてしまうと褒美がなければ動けない人間になってしまうことがあります。
例えば…
「オフィスにゴミが落ちてたが拾うのは私の仕事じゃない」
「同僚が荷物を山ほど持っているが手を貸すのは私の仕事じゃない」
こうなってしまうと仕事以外の家庭などでもしばしば問題を起こします。
「オムツ交換やミルクをあげるのは私の仕事じゃない」
「お風呂掃除は私の仕事じゃない」
報酬がなければ動けないようになってしまう。
結果的にやる気をなくした人間になってしまうんですね。
アンダーマイニング効果っていうんだよ
人のためや社会のために行動して「良い事をした」「喜んでくれる人がいて嬉しい」と自分が感じて、それ自体が【自分の喜びや満足】として扱えるようになると人はどんどん成長します。
褒美は後だしがおすすめ
「もし・・・したらご褒美をあげるよ」
これらのアプローチは短期的にみると良い結果を生み出すが、常用することで大きなリスクが伴います。
買い物で大人しくしてくれたらお菓子を買ってあげると言ったがために、お菓子が無ければ静かに出来なくなる場合もある。
安易な取引は「わいろ」になる恐れ
子供と安易な取引は、大げさな言い方だが【わいろ】となりうるので注意してください。
もし子供に「頑張ったで賞」のような褒美を与えたいならば、先に言わない方が良いです。
「頑張って努力すればやがて良い事が巡り廻ってくる」
「善因善果」
善因善果
よい行いをしていれば、いずれよい結果に報いられるということ。
自然にこの法則を学んでもらいたいわけですから、褒美は【後だしのサプライズ】がおすすめなんです。
表彰状のコレクション
現在、私の家の壁には所狭しと表彰状が貼られています。
全て子供のものです。
賞状だけではなく、子供が描いた絵や目標なども一緒に貼ってあります。
子供は壁を全て賞状で埋め尽くすんだと意気込んでいます。
壁がなくなったら天井だってよ
う、うん・・・いいね
賞の内容はくだらないものも沢山あります。
【習い事の級】や【すてきな笑顔で賞】だったり。
でもそれで良いと思っています。
子供が「良いことをした証・頑張った証」として壁に賞状が増えていく。
努力を可視化することで自分に自信がついてくるんですね。
まとめ
少なくとも子供の前で賞状を「単なる紙切れ」として扱うようなことはしない方がいいです。
自分が頑張った証を喜んでくれる親がいる。
その証を壁に貼って飾ってくれる親がいる。
たったそれだけで子供はやる気を出す意味を見出すかもしれません。
賞状をもらってきたら「頑張ったね」って喜んで壁に貼ってあげて下さい。
「凄い価値がある紙なんだ」
「特別なんだ」
そうやって表彰されたこと自体が凄いことなんだよと教えてあげて下さい。
報酬を求めない奉仕は、他人を幸福にするのみならず、我々自身をも幸福にする。
マハトマ・ガンディー(弁護士、宗教家、政治指導者)
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